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2005年09月05日

ほんのちょっと前まで(?)アジアで

 どーも初めまして。私、すがぬまは今でこそ長野県人ですが、この10年間のうち、6年間はアジアで国際協力に携ってきました。
で、今までの活動を・・・というお題目で何か原稿を・・・と言われたのですが、まずはそこに行き着くまでの話から先にしたいと思います。
 あれはまだバカな酔っ払い(これは今でもそうですが)の学生のとき、少しは本でも読まなきゃいかんな・・・と思って、何気なく買った本の中に「肉を1kg作るのに、穀物20kgを必要とし、その分を貧しい人にまわせば、飢餓がなくなる」という一文を読み、「あれ?何でこんな簡単なことに気付かなかったんだろう。先進国は途上国を踏み台にして成り立っているんだ」と感じ、それがアジアに目を向ける一歩でした。
しかし、そんなこんなしているうちに就職してしまったのですが、このときの想いがあって、10年前に前の会社を休職して、青年海外協力隊でバングラディシュに行きました。

 バングラでは組合を通して、村の開発を行う・・・とけっこう漠然とした職種だったのですが、主に識字教育をしていました。識字教育とは字の読み書きができない人たちに対して、文字を教えるというものです。よく専門家が書く本には「字が読めないと条件の悪い契約書に印を押してしまう」とか「農薬のラベルが貼ってあっても、それが読めないので、子どもにそれを飲ませてしまう」などの理由で識字教育の必要性が説かれていましたが、私はそんなもんでなく、字を読み書きできることの喜びとかではないのかな・・・と思います。これは多分、今の日本人には分かりにくいことかもしれませんが、実際、村のおばちゃんの「遠くに出稼ぎに行っている旦那に手紙でやり取りできて、あたしゃ、嬉しいよ」という言葉を聞いて、バングラに来て、この仕事をして良かった・・・と感動してしまいました。
 と、協力隊は2年の任期でしたが、この業界が面白かったために、今度は前の会社を辞めて、NGOに入りラオスに行きました。
s-Hiroyuki___Ban_Yup_children_(5).jpg
 当初はラオスには図書が少ないので、学校に本を配布する・・・という極めて、私にとってはつまらん仕事でしたが、これとは別に首都のヴィエンチャンからおんぼろバスで20時間以上かかるセコン県というところで、少数民族の民話を収集し、それを紙芝居にして、小学校に配布するというものがあって、それにのめり込みました。ここは首都の普通のラオ人でも行きたがらないような電気のない貧しい地域なのですが、滅多に見られない水牛の生贄のような少数民族の文化とかも見て、楽しかったです。
 また、ただ単に紙芝居を配布しただけでなく、学校の先生方が自ら紙芝居を作るようにしてゆくように努め、数人でしたけど、面白い紙芝居を作った先生方に出会え、セコン県で仕事して良かった・・・とこれまた感動してしまいました。
 今は愛娘もいることで、もう無謀なこと(?)もできんな・・・と思いますが、それでもアジアとは繋がりを持ちたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。
(writing 菅沼 裕行)

投稿者 tsuka : 2005年09月05日 18:18